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危機管理という切り口での新聞登載原稿~陸奥新報「望遠郷」(2012年4月~13年4月登載・投稿時原稿)

第1回目
 人を育てる郷土
  青森高校を卒業、夜行列車で上京してから、半世紀が経過した。東京大学を経て国家公務員となり、内閣官房(内閣情報調査室)、警察(警備局外事課など)、外務(台湾・北京など)、防衛(調査第1課)の省庁で主に情報関連職種を30年ほど渡り歩いた。きっかけは後藤田正晴氏をはじめ旧内務省出身者の情報官庁再建の熱心な思いに満ちた誘いであった。国家公務員は53歳で早期退職、以降今日まで麗澤大学経済学部教授(65歳の定年以降は特任教授)として、危機管理を研究、兼ねて、川崎市顧問(危機管理アドバイザー)や各省庁の研修機関などで非常勤講師などを務めている。
  本欄8回の連載では、経験したことを中心に、主に「危機管理」を担う人材養成という観点に絞って私見を披瀝してみたい。 
  郷里での思い出で、今でも特に熱い思いがこみ上げてくるのは、津軽富士・岩木山登山だ。高校1年生の夏休み、午後弘前市街からふもとの嶽温泉を目指しスタート、夕刻、山道にかかり、夜を徹して頂上を目指した。疲労と眠気に登山道脇にへたり込んだ際に頬を洗われた朝露に満ちた草木の感触が蘇ってくる。眠気は一瞬に消え、眼下には幻想的な雲海が開けていた。
  伝統ある校外団体「英進社」の新入生歓迎行事であった。「われらは大抱負の下、大活躍を期し、体知情意の修養に努め、国士たるをもって任ず」から始まる各種の誓いの言葉をことある毎に大声で唱え(させられ)た。「言必ず真、約必ず果たす」「わっぱを背負って山野を跋渉す(弁当持って野山を歩き回る)」などなど・・・半世紀を経て体に染み付いて思い出される。中学・高校時代というのは一生を通じての精神的な基盤を育てる。
私が育った昭和30年代、郷里には後輩を教育する様々なスステムが健在だった。
   岩手山の朝露に洗われた思い出とともに「歩一歩高こうして万景拓く(ばんけいひらく)」という言葉が染み付いた。一歩一歩の歩みを続ければやがて高みに達し広大な下界を望むことができる。足元の努力の積み重ねを教える言葉だ。
  頂上で歓喜の興奮の中で拝んだご来光、先輩が用意してくれた書初め用の用紙に墨汁で書かされた将来への決意。実は何を書いたのかは思い出せない。少年にとっては興奮醒めぬ熱い演出の場であった。そのときの興奮だけが心の底に熱く残る。
  先輩から育ててもらったお返しができたであろうか。後輩を育てるために何をなすべきか。今日の社会は次世代の担い手を養成するという視点が先輩の世代に比して劣っていないか。反省を込め、これからの取り組みの必要なことを感じている。

 第2回目
  内務省の「道統」
  戦前の内務省には役所の中の役所といった気概や羽振りのよさといったものがあった。勿論、私が社会人となった昭和40年代には内務省は影も形もなくなっていた(進駐軍に解体された)。代わって予算編成権を握った大蔵省が幅を利かせていた。私の入った警察庁は、解体後の内務省中の内務省としての矜持を潜ませた警保局系の巣であった。
 警察部長を頂点としての警察官僚は官選知事を支えるナンバーツーとしてのプライドだけは絶大だった。昔は知事公舎の隣に警察(本)部長公舎があった。大蔵や通産といったそろばんがすべての経済官庁の奴らには任せて置けないと。内務省関係各省庁では、国家の土台を担う役所を復活させたいという気持ちがみなぎっていた。
 警察畑を中心に旧内務省の幹部は公職追放され、若手が主に自治省・厚生省と警察庁に残った。国家警察は解体され、自治体警察に分割されるという試練を経ていた。経済復興を遂げつつあった当時、いよいよ内務省の柱、警察庁を復活させようという空気が庁内に蔓延していた。
  内務省時代の採用者が当時の警察庁の幹部となっていた。彼らがかろうじて内務省時代の空気を伝えていた。そういう意味で、私が警察庁で公務員生活をスタートした時代は、今にして思えば、内務省時代の空気が残っていた最後の時代でもあった。
  最高幹部たる先輩たちが大学出の私たちに惜しみない愛情で接してくれた。頻繁に声がかかり料亭や小料理屋などでご馳走になった。そこでは国家運営の哲学や酒の飲み方まで教えてもらった。そこにはしばしば各界の一流の人材が招かれていた。勉強会も多かった。もっぱら人民日報社説を読み解説するという勉強会は圧巻だった。土田国保先輩が主催、その道の第一人者桑原寿二先生がすばらしい解説をしてくださった。旧軍参謀岡村誠之先生によるレベルの高い孫子の兵法研究会にも参加した。省庁の垣根を越えて有志が集っていた。孫子の兵法研究会には防衛庁から防大出のエリートも加わっていた。いずれも10数年間も続けられたように記憶する。
  内務省では先輩が後輩に若い時代から将来の幹部としての教育をするという伝統があった。人材養成には時間と金がかかる。先輩は後輩の代々恩返ししていくという伝統。内務省ではこれを道統といっていた。内務省の道統を継ぐと。エリート同士という矜持があった。国家を担う幹部人材の養成には時間と金がかかる。現在、この部門を担うシステムが欠落していないか。次代を担う人材の養成に微力を尽くしたいと願っている。

第3回目
廉潔の精神
内務省時代採用の先輩の教えといっても何か特定の文献などがあるわけではない。それぞれがかもし出す独特の雰囲気。それが後輩に伝播していくという感じ。
 その雰囲気の第一、誰もがとにかく人間関係を重んじていた。同郷、大学の部活、職場などあらゆる関係を口実に濃密な人間関係が築かれていた。転勤するたびに新たな関係が始まる。構築される人脈は官僚だけに限らない。民間企業を含めどんどん広がっていく。
若手時代は将来の人脈構築が推奨された。昼食なども一人でとらずに誰かと関係を築くべきだという認識だった。
第二は、文武両道が重んじられていた。警視庁の道場などでの柔剣道の朝稽古も盛んだった。そこには各界の有力者も集っていた。若い時代、軍隊の経験を有している先輩には古武士のような雰囲気が感じられた。
そうした先輩が、将たる者の心得として「敵陣に血刀を振りかざして切り込む」気概を語る時には犯せない雰囲気があった。戦争体験の有無は人間形成に大きな影響を及ぼしていることは否定できない。
 第三に、誰しもが天下国家を論じていた。20代には法律家を目指し、30代には行政官、40代には政治家の心で臨まなければならない。などという空気が蔓延していた。中曽根先輩、後藤田先輩などがそこ等辺にいるという日常の感じ。
 誰もが自信に満ちていた。自信があるからその交友範囲にあっても堂々の陣が張れる。若手にも、将たるものの10年前、20年前という気概での日々の研鑽が当然のように求められた。
 そうした日々、頻繁に聞かされたことには、「廉潔の精神」がある。私欲ではなく天下国家の経綸を重んじることが強調された。酒が入れば「三ボレ」などが飛び出した。仕事と任地、それに女房に惚れろということ。地方勤務では徹底的にその土地に惚れ込み、その土地を学ぶことが求められた。人身掌握の要諦ということでの教えであったろう。
 時代が変われば人の育て方も変わる。現代の国家指導者の養成はどうあるべきかという視点は欠かせない。わが国の時代の担い手の養成は大丈夫だろうかということだ。優秀な大学生が大学に入ったトタンに司法試験などの資格試験受験勉強に明け暮れているというのでいいのだろうか。公益を担うという精神はどのようにして養成されるべきか。人材の養成には時間がかかることも留意すべきではないか。

第4回
雲仙普賢岳噴火災害
公務員として危機管理に関して様々な経験をつませてもらった。たとえば「人命は地球より重し」というセリフ(日本人は感情に訴えられるのに弱い)で有名な超法規措置として犯人を釈放した過激派日本赤軍によるマレーシア・クアラルンプール事件(75.8・4)は、総理官邸勤務(三木武夫総理、福田赳夫総理代行)という立場を通じて経験、また、雲仙普賢岳噴火災害(1991・6・3、大火砕流・土石流)では43人の犠牲者を出した長崎県警本部長として現場指揮の責任者を経験した。退官後もペルーの大使公邸占拠事件は大学から現地へ飛び長期間滞在した。原色の最後には、阪神大震災、オウムのサリン事件や国松警察庁長官狙撃事件も経験した。
 東日本大震災(2011・3・11)を含め、危機管理に関しての思いは、人間の知識なるものの限界を痛いほどに見せ付けられたことだ。私は、賢しらにああだ・こうだと解説し論評する立場にだけはない。危機管理関連官庁に長年籍を置き、大学で危機管理を研究していると称し、あまつさえ各種の講演やら論文やらをものしてきた。あるのは反省であり、あえて言えば、誰よりも人間の限界を思い知らされているということだ。
 桜島爆発記念碑(大正3年1月12日爆発)なる碑文が火山灰に埋もれて今も東桜島小学校の校庭の片隅にある(文字はほとんど読めなくなってはいるが)。測候所に相談「狼狽して避難するに及ばず」と諭達した当の東桜島村長が、悔恨の情から、子々孫々に「住民は理論に信頼せず異変を認知する時」には、とにかく一目散に逃げろと碑文に刻んだのだった。釜石市に伝わる「津波てんでんこ」(とにかく一目散に逃げろの意。地元では命テンデンコという言い方をする人が多い)の教えに共通する防災の基本といえよう。
 私の危機管理に関する原点はここにある。自らと自らの愛する人々の命を他人に託することはできない。どんな専門家だって命を託せるほどの能力は持ち合わせていない。自らが全能力を発揮して守るしかないのが、危機管理の原点だと信じる。
 最近、幼稚園・保育園の経営・管理者に話す機会があったが、震度6強以上では、園児は自らが自らの命を守るしかないのですよと強調しておいた。何かしてやろうにも誰も何もしてやれないのだから。結局は子供でも自らの命は自らが守るしかないということだ。
 危機管理とはそういうもの。一人ひとりがあきらめずに最善の行動をとる。究極的には体力や精神力を含めた野生の命の力。物質的に何不自由のない豊かな時代とはいえ、危機管理だけは自らの力しか頼れないという原点を忘れないようにしたいと考えている。
 
第5回目
阪神大震災
  阪神淡路大震災は危機管理に関しての教訓に富んでいる。午前5時46分の発災から惨状把握までかなりの時間がかかった。東京では現実的には7時のテレビ・ニュースの映像に映し出された火災の噴煙に一体どうなっているンだ・・・と驚いた。激甚被災直後は待っていては報告が入ってこない。報告がないことが現地の惨状を示唆していた。ヘリを飛ばしての状況把握などの措置もその反省から生まれた。
  耐震診断の重要性も教訓の一つだ。発災15分後の6時までに死者9割が死亡。大部分は即死状態だった。以降、私は講演の度に耐震診断・耐震補強を強調した。動けなくなったら命にかかわると。しかも、大部分が即死だったら、警察も消防も自衛隊だって助けには来てくれない。わずかに動けなくなった人を助け出したのは、家族であり、あるいはご近所の皆さんだった。
  テレビなどでは、東京消防レスキュー隊などの華々しい活躍が伝えられることがある。しかし、現実には、皆さんや皆さんの家族を助けに来てはくれない。正に奇跡だから大ニュースになるのであって、奇跡は現実には起きない。そういう現実を直視することから実際の危機管理は始める。
  救助犬による生存者の捜索。正に心温まるシーン。しかし、現実的には、国際救助隊に活動の場を提供することにてんてこ舞いさせられている。阪神大震災で有名になったボランティア活動。これも現実としては行政にとってはなかなか大変だ。次第に経験を積んで、自立的なボランティア活動への理解が進んだことは意義深い。私はこうした自治体レベルの本音の危機管理という部門で研究をしてきた。時には歯に衣を着せない物言いもしながら。
  実は自治体職員の意識も大きく変わった。20年前は危機管理は警察や自衛隊の仕事ではあっても市町村の仕事とは認識されていなかった。せいぜい消防の仕事という程度だった。それが今日では自治体への住民の要望事項の筆頭に安全安心・危機管理が位置づけられるまでになった。
  川崎市を始め立川市などいくつかの自治体の危機管理部門のマニュアル作成などを手伝った。危機管理もつまるところ、草の根の教育の問題だ。自治体では職員の意識改革が重要になる。また、川崎FM放送で5年目になる週1回の番組「我が家の危機管理・今週のワンポイント」を担当している。危機管理の語り部・狼おじさんと自己紹介しつつ。
  
第6回目
残心
  危機管理の要諦は過去の事例に学ぶことだ。そして気づかされること。その筆頭格、「不幸は重なって起きる」ということではないか。
  東日本大震災では、地震、津波に加えて原発事故という三重苦となった。関東大震災では地震に台風の大風が重なったことで大惨禍となった。
  個人的な経験からは、1995年の1月の阪神大震災から3月のオウムの地下鉄サリン事件に国松警察庁長官の狙撃事件と続いた魔の2ヶ月間ほどだった。あれよあれよという間に一生に一度というクラスの大事件が連続発生した。
  武道の教えに「残心」という言葉がある。剣道でいえば、振り下ろした竹刀をくるりと身を転じて相手の反撃に備えて身構える動作をいう。絶えず次の事態へ備えよという心得である。人間は一難去ればホットしたくなるもの。重大な危機事象であればあるほどやれやれという思いが強いだろう。
過去の事例は「次への備え」の重要性を我々に教えている。危機管理に当たる者は心すべきことだ。
どの分野でも人材の養成が死活的に重要であることは間違いない。自分のことに精一杯になり勝ちが今日、公益の担い手、特にその危機管理能力の養成について、各方面の留意を求めたい。
出会った中では「悲観的に備え、楽観的に対処せよ」という教えは示唆に富む。要は危機管理は普段が勝負ということ。普段は、あれもこれもとそれこそ悲観的に最悪事態を想定してそれらへの対応を検討すべきだ。しかし、一朝ことが起きてしまってからは、最善を尽くせは必ずや収束すると考えて対処する。決して立ちすくんではいけない。どんな事態に臨んでもあきらめずに最善の手を打つことに専念する。
指揮官はネアカでなければならない。生身の人間、肝を冷やすこともあろう。指揮官は、決して不用意に立ち上がらず、周辺の声を聞き、可能な限りの状況を把握して、声の出ることを確かめてから、冷静に「まず座ってくれ、これから指示することに基づいて対応してくれ」と、言わなければならない。内務省的人身掌握としては、そうした心得を強調している。
 普段はどうでもいい。いざという時にどう行動できるかが勝負だ。指揮官は長い年月を経て養成されることだけは間違いない。そうした指揮官を養成しているか。それぞれの組織にあって人材の養成には考えるべきところが少なくない。

第7回目
他山の石
危機管理はすべて「他山の石」という心得から始まると強調している。どこかの誰かが経験したことをも我が事として受け止めそこから得られた教訓を活かすことだ。考えてみれば、テレビや新聞で伝えられることの大部分は何がしかの反省教訓事項を秘めているといえよう。その教訓を我が事として受け止め我がことに引き寄せていくことが最大の手段なのだ。そう考えれば、危機管理の教材は溢れている。後は、学ぶかどうかの違いだけと言うことだ。
ニュースで伝えられることを見聞きして、自分に係わることでなくて良かったと思うのが人情と言うもの。それを我が事に引き寄せて教訓として活かそうというのだ。実際にあった、生きた事例だから関心が強い。その教訓を、自分の職場、家庭に引き寄せて活かせればその教育効果は抜群だ。
 そして、できればその現場に行ってみることだ。私はかつて、エジプト・ルクソールの遺跡(ハトシェプト女王葬祭殿)に立ち、観光客を襲撃したゲリラの惨状を想像してみた。灼熱の風を感じつつイスラム原理主義ゲリラの考え方を想像してみた。また、ベルーの日本大使公邸襲撃事件の現場にも犯行進行中に立って見た。その場の空気の中でなければ感じられない何かがあるものだ。何がしかの評論を書くとしても、その現場にあって、関係者の実際の声に基づいているのとそうでないのとでは雲泥の違いがある。どの事件にも、その現場に行かなければ感じられないものがある。現場主義は危機管理にあっても大切な心得となる。
 警察の捜査では「現場百遍」という言葉がある。捜査が行き詰ったら犯罪発生の現場に行ってみる。犯罪の起きた時間の現場に身を置いてみる。何遍での現場に戻ってみる。それが現場百遍という教えだ。
日本人はいやなこととなると、なるべく早く忘れたいという民族だ。二度と再び失敗を繰り返さないために徹底的に分析してみるというドイツ人の論理性は持ち合わせていない。目の前の危機が取敢えず過ぎ去れば、あとはいやなことは忘れようとする。これではいつまでたっても同じ過ちを繰り返すことになる。
 東日本大震災の教訓を子々孫々にまでいかにしっかりと伝えるか。千年に1回という大災害を経験した私たちは、伝えるという責任がある。忘れやすい民族という特性をお互いしっかりと心に焼き付けて教訓をしっかりと子孫に伝える決意が求められている。

第8回目(最終回)
  危機管理のNPO 
私の東日本大震災への一つの対応は、NPO危機管理能力開発機構を立ち上げたことだ(平成23年11月)。危機管理分野で専門家と称してきた一員としての反省・けじめの積もりでもある。
被災の直後から、多くの大学に危機管理学部や危機管理学科などを作るように働きかけた。現在も全国の学生に危機管理関係のクラブや研究サークルを作るよう働きかけている。今回の大災害をきっかけに、安全安心という視点から物事を考える人を増やしたいと考えている。
危機管理能力開発機構は、こうした分野での活動をNPOとしていささかなりとも支援したいと考えている。先ずは、各方面の危機管理に関する専門家に講演していただき、その映像などをネットで配信・提供するといった活動から開始したいと考えている。もちろんすべて無料。
国民一人ひとりの危機管理への対応能力をつけることが大事だという思いが根本にある。周囲に一緒に危機管理対応能力を身に付けませんかと語りかける意思を持っていること。そして、自分の持っている知識経験を人のために役立てたいという思いがあれば、もうその人は本機構の立派な会員ということだ。会員に資格要件もなければ、会費も存在しない。それぞれ思い立った時が本機構の会員ということで、直ちにそれぞれの活動を開始していただきたい。文字通りの草の根の活動を期待している。本機構は全国の志を共通にする仲間の精神的な支柱として役に立てることをひたすら念じている。
自治体のFM放送などへ安全安心に関する優良なコンテンツを提供するなどの活動も考えている。たとえば被災地でボランティア活動した経験から学んだことを若者に語ってほしい。そうした経験交流や能力アップの為の講習会などを計画している。
興味を抱いていただいた読者には、インターネット検索で一度見ていただければありがたい。
これから先、危機管理分野を中心に、人材の養成にいささかのお手伝いができればと念じている。高校卒業と同時に郷里を離れ、郷里で暮らすことはなかった。今では郷里は心の中に存在するところとなっている。それでも郷里は郷里。ますます色鮮やかな存在となっている。今回、本紙に書く機会を提供いただいたことに感謝している。これを機会にさらに様々な縁がいただければありがたい。

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プロフィール

大貫啓行(おおぬきひろゆき)

Author:大貫啓行(おおぬきひろゆき)
麗澤大学経済学部・大学院教授(2014年4月から名誉教授)、(公)モラロジー研究所教授。元警視監。
東京大学法学部卒業。
1967年警察庁入庁。内閣官房、外務省、防衛庁への出向も経験、中国情報分析を中心とした内外情報畑一筋30年のエキスパート。
お問い合わせはkikikanri110@gmail.comまで。

在中国一等書記官(文化大革命直後の政治情報収集)、警視庁外事1課長(ソ連スパイ・レフチェンコ事件を指揮)、内閣情報調査室国際部(中国・ソ連分析キャップ)、防衛庁調査1課長(ソ連による大韓航空機撃墜事件の事後対応)、秋田県警察本部長、長崎県警察本部長(雲仙普賢岳噴火災害警備を指揮)、警察大学校特別捜査幹部研修所長、警察庁国際部長(初代国際部長として、阪神淡路大震災、オウムサリン事件、国松警察庁長官狙撃事件等の危機管理に携わる)、中国管区警察局長等を歴任し、1996年より麗澤大学教授・2014年より同大学名誉教授。

川崎市顧問・危機管理アドバイザー(2004年~2014年)をはじめ、多くの自治体で各種の顧問・委員等も務めている。
【著作等】
(著書)「変革~日本の対外姿勢と危機管理」(広池学園事業部)
「現代中国の群像」「暮らしの法学~安全を考える社会システム」
「国際紛争と日本の選択」『暮らしの行政~私と公の共生システム」
「説得力の養成」(以上麗澤大学出版)
「中国はどこに向かう」(白金出版)ほか
(論文)「災害に関する危機管理」「雲仙普賢岳噴火災害警備考」
「在ペルー大使公邸占拠事件の考察」「公務員における意識改革の現状」
「中国~国家・社会変革方向の考察」(以上麗澤大学紀要)など

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